スコッチ3蒸留所物語 ~その1 ─3蒸留所の歴史がスコッチの歴史

科爾頓山

 ウイスキーには“ 5大ウイスキー” といって、スコッチ、アイリッシュ、アメリカン、カナディアン、ジャパニーズの5つがあると、このコラムでもお伝えしてきたが、原点はやはりスコッチウイスキー。世界で造られ、飲まれているウイスキーの6割近くが今でもスコッチウイスキーで、そのスコッチには原料と製法の違いで、モルトウイスキーとブレンデッドウイスキーの2つがあることは、前にも書いている。2000年くらいまではスコッチといえばブレンデッドで、販売量の95%はブレンデッドが占め、モルトウイスキーは5%にも満たなかった。ところがこの25年でモルトウイスキー、中でもシングルモルトが急成長して、今ではスコッチ全体の10%超、金額でいうと30%近くまで増えている。現在の世界的なウイスキーブームは、スコッチシングルモルトの人気のせいと言えなくもない。
 もちろんシングルモルトとは1つの蒸留所で造られるモルトウイスキーのみを瓶詰めしたもので、そのシングルモルトの販売量トップ3と言われるのが
スペイサイドのグレンフィディックとザ・グレンリベット、そしてマッカランの3つである。スペイサイドはスコッチの6つの生産地区分の1つで、ハイランド地方北東部を流れるスペイ川流域でつくられるウイスキーのことをいう。“スコッチの2大聖地”の1つで、現在ここには60近い蒸留所がひしめいている。スペイサイドの面積は約2,300km²で、これはほぼ東京都と同じくらい。そこに60近い蒸留所が集中していて、スコッチ最大の生産エリアとなっているのだ。ちなみに、もう1つの聖地はスコットランドの西に浮かぶアイラ島で、ここではスペイサイドとはまったく異なる、スモーキーでピーティーなウイスキーを造っている。面積はわずか620km²だが、ここにも現在は12の蒸留所があり、こちらも面積のわりに蒸留所が集中していると言えるかもしれない。
 ではグレンフィディック、ザ・グレンリベット、マッカランがなぜスコッチシングルモルトのトップ3なのか、その歴史や仕込みの違いはどこにあるのだろうか。

 

グレンリベットの歴史がスコッチの歴史

 まずは3蒸留所の販売量。統計データを2024年の数字で見てみると、1位のグレンフィディックが年間170万ケース、2位のザ・グレンリベットが130万ケース、そして3位のマッカランが95万ケースとなっている。以下、グレンモーレンジィ、シングルトンと続くが、この場合の1ケースは750㎖ボトルで12本換算なので、それぞれ2040万本、1560万本、1140万本を売り上げていることになる。
 現在スコッチには、年間100万ケース以上を売るブランドが20近くあるが、グレンフィディック、ザ・グレンリベットを除く残りの銘柄はすべてブレンデッドスコッチ。ジョニーウォーカーやバランタイン、シーバスリーガルなど、日本でもおなじみの名前が上位を占めているが、オールドパーやティーチャーズ、ベルなどはそれぞれ140万、140万、130万ケースと、グレンフィディックよりは下なのだ。いかに近年、スコッチのシングルモルトが急成長しているかは、このデータを見れば一目瞭然である。

 では、それぞれの違いは何なのか。販売量のデータはグレンフィディック、ザ・グレンリベット、マッカランの順になっているが、創業年はザ・グレンリベットとマッカランが1824年、グレンフィディックが1887年。タッチの差だが一番古いのがグレンリベットで、その次がマッカランということになる。ここでは創業年の古い順に紹介したいと思う。
 グレンリベット蒸留所がスペイ川の上流部、リベット谷の奥に誕生したのは1824年だが、実はこれは実際の創業年ではなく、政府公認の第1号蒸留所になった年を表している。もともとは18世紀半ばから続く「密造所」で、人里離れたリベット谷の奥に数カ所の密造所を持ち、『スミスのグレンリベット』として、近隣では有名だった。スミスというのは、創業者ジョージ・スミスのことで、当時リベット谷には200を超える密造所があったが、その中でスミスのグレンリベットは傑出していたといわれる。遠くエジンバラやロンドンにもその評判は伝わり、時の国王ジョージ4世までもが「スミスのグレンリベットを飲ませろ‼」と言ったとか言わない
とか。
 そのこともあり、イギリス政府は1823年に酒税法を改正し、ライセンス蒸留所を増やす施策をとった。この酒税法改正を受けて、翌1824年に政府公認
第1号となったのがスミスのグレンリベット蒸留所である。もちろん近隣の密造者仲間からは裏切り者と決め付けられ、スミスのグレンリベットは何度も焼き打ちに遭い、スミス自身も命を狙われたという。そのため肌身離さず持っていたのが、2丁の拳銃で、このピストルは今でも保存され、蒸留所のビジターセンターに展示されている。

 2000年代以降、グレンリベットが世界的なマーケティングの際に使ったのが「1824年創業、グレンリベットの歴史がスコッチの歴史」という宣伝コピーだった。それは大袈裟でもなんでもなく、もしジョージ・スミスのこの時の決断がなかったら、スコッチの歴史は今とは違っていたかもしれないし、産業化はもう少し遅れていただろう。名うての密造者が、政府とスコッチ産業のために、命がけで決断した…。まさにスミスの決断が歴史を動かしたのだ。

<創業者のジョージ・スミス。彼の決断がなかったら、スコッチの歴史は変わっていたかもしれない。>

 


<スミスが肌身離さず持っていた2丁の拳銃。蒸留所に入ってすぐの所に展示されている。>

 

シングルモルトのロールスロイスといわれたマッカラン

 スミスが政府公認第1号となったことで、リベット谷だけでなく、ハイランドやスペイサイドでそれに続く者が続出した。そのうちの1つがスペイ川の
中流域に同じく1824年に創業したマッカランである。
 もちろん、マッカランも密造の歴史が古く、18世紀半ば以降、複数の密造所があったことが知られている。現在の蒸留所はスペイ川左岸の高台に建てられているが、古くは川沿いにいくつかの密造所があったという。スペイ川中流域では唯一、川を渡れる浅瀬があり、昔は南へ家畜を運ぶ牧童たちが休憩を取り、そこでマッカランの酒を一杯飲むのが楽しみだったとも伝わる。
 ザ・グレンリベットがその後も長くスミス家が運営にあたっていたのに対し、マッカランは長い歴史の中で幾度となくオーナーが替わり、経営的には必
ずしも安定しなかった。もともとレイド蒸留所といっていた蒸留所名がマッカランに改まったのはロデリック・ケンプが買収した1892年以降のことである。このケンプ家が、その後1世紀近くマッカランの実質的なオーナーだったが、1990年代初頭にハイランドディスティラーズ社、そして1999年に、現在のエドリントングループ社の所有になっている。
 マッカランといえば卓越したキャッチコピー、マーケティング戦略で知られるが、1980年代、ケンプ家の末裔であるアラン・シュイアックが蒸留所を
運営していた時代に、マッカランを称して使われたのが「シングルモルトのロールスロイス」というフレーズだった。これはハロッズ百貨店の『ウイス
キー読本』というカタログに登場したフレーズだったが、今となっては誰が最初に言い出したのかはわからない。シュイアックは元ハリウッドの脚本家でもあったので、マッカラン自身が言い出したのかもしれないが、これが今日まで続くマッカラン人気に与えた影響は大きかった。


<マッカランの象徴ともいえるイースターエルヒーズ館。1700 年に建てられたマナーハウスで、この下のスぺイ川の岸辺で密造が行われていたという。>

 


<ピーター・ブレイクのラベルが貼られたマッカラン60 年物。12 本だけボトリングされた。>

 

 さらにこの時代の1986年に売り出されたのが、1926年蒸留のマッカランの60年物だった。ラベルにサー・ピーター・ブレイクのイラストを使ったの
もシャイアックらしい。ブレイクはイギリスを代表するポップアーティストで、ビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のジャケットを手がけた人物でもある。このボトルは後にオークションを賑わすこととなり、2023年のロンドンのオークションで、ラベル違いではあるがこの60年物が1本4億円を超える値段で落札され、世界中を驚かせた。
 そしてもうひとつ、マッカランが世界を驚かせたのが現在の新蒸留所の誕生である。設計したのは、ロンドン・ヒースロー空港の第5ターミナルを手がけたデザインチームで、その斬新さ、環境に配慮したデザインに世界が度肝を抜かれた。それはスペイサイドの風景をそのまま模したような半地下式の建物で、遠くから見たら、自然の丘にしか見えないような造りになっていた。
 円形の丘のような屋根には、そのために開発された天然芝が植えられ、その3つの小丘、ドームの下には1本の柱も使わない丸天井の蒸留所が収められている。スチル総数36基という巨大な蒸留所だが、中に入るとまるで近未来の宇宙船か月面基地のようにも見える。総工費は当時の金額で200億円を超えていて、世界中からウイスキーファンだけでなく、デザイン関係、建築関係の人が見学に訪れる人気の蒸留所となっているのだ。


<3つの丘が連なっているように見えるマッカランの新蒸留所。屋根の芝はこのために開発されたもの。>

 


<その小丘の下にあるスチルハウス。1つの丘の下に12 基のスチルと発酵槽が並ぶ。夜はライトアップされるが、まるで近未来の宇宙基地だ。>

 


<グレンフィディック蒸留所の玄関口に立ち、人々を出迎えてくれるウィリアム・グラント夫妻。>

 

初めてシングルモルトを世界に向けて発信

 スペイサイドの3蒸留所の最後は、世界一の売上げを誇るシングルモルトで、年間の生産能力も2100万リットル(100%アルコール換算)と、世界最大のグレンフィディック蒸留所だ(生産能力はザ・グレンリベットと同じ)。グレンフィディックがスペイ川の支流、フィディック川沿いのダフタウン町に築かれたのは、1887年のこと。創業者はダフタウンの貧しい仕立て屋の息子だったウィリアム・グラント。しかしウィリアムは家業を継ぐことを嫌い、ウイスキーの蒸留家を目指して、同じダフタウンのモートラック蒸留所で20年間修業。その間にコツコツと金を貯め、1886年に現在地を確保して、自ら蒸留所の建設に着手したのだ。

 ウィリアムには9人の子供がいたが、家族全員で1つ1つ石を積み、1年がかりで小さな蒸留所を完成させた。初めての蒸留が行われたのは、1887年12月25日、クリスマスの日で、もちろん資金がなかったため、スチルなどの蒸留機器はすべて中古だった。グレンフィディックのスチルが小さく、しかもストレートヘッド、ランタン、バルジ型とバラバラなのはそのためだが、創業から140年経った現在も、スチルのシェイプや大きさは、創業時のまま変えていない。家族全員で蒸留所を建てたことを忘れないためでもあり、その後蒸留所は5世代にわたって家族経営を続けてきた。グレンリベットやマッカランが何度もオーナーが変わり、現在は大手企業の傘下になっているのとは違い、グレンフィディックは、今でもグラント家の経営となっているのだ。
 すべては家族の力でやる…。それは「スタンドファスト」、独立独歩という家訓にも現れている。現在同社はグレンフィディックの他にバルヴェニー、
キニンヴィ、アイルサベイ、ガーヴァン、そしてアイリッシュのタラモア蒸留所などを所有する、ウイスキーメーカーとしてはディアジオ、ペルノリカール社に次ぐ世界第3位の企業となっている。しかし、今でも家族経営を続けていて、さらに大手企業としては唯一、スコットランド資本の会社でもあるのだ。


<第2蒸留棟のポットスチル。初留は今もガス直火だ。>

 


<2021 年に稼働開始となったグレンフィディックの第3蒸留棟。やはりスチルのサイズ・形は変えていない。>

 

 グレンフィディックで特筆すべきはスコッチで初、ということは世界で初めてということだが、シングルモルトとして販売したことである。1963年のことで、それまでは蒸留所が自らボトリングして、それをシングルモルトとしてマーケティングすることは無かったのだ。当時はスコッチブレンデッドの全盛時代で、蒸留所はブレンデッドの原酒のためとしか考えられていなかった。それを敢えてシングルモルトとして勝負しようと考えたのが、グレンフィディックだった。
 とはいえ、その言葉に馴染みがなく、消費者の理解が得られないと考えたのか、シングルモルトではなく「ストレートモルト」という表現になっていた。
これは当時、グレンフィディックの一番の販売先がアメリカ市場で、アメリカにはバーボンで「ストレートバーボン」という表記がよく使われていたからだという。それでも、最初の年に売れたボトルはわずか4000ケース、4万8000本だったという。それが現在では前述した通り170万ケース、年間2040万本も売れる世界一のシングルモルトとなっているのだ。
 貧しい仕立て屋の息子から、世界第3位のウイスキーメーカーへ。グレンフィディックの物語は、創業者ウィリアム・グラントの立志伝であり、今でも地元で語り継がれている。蒸留所は前述したように、スチルの形状や大きさは創業時と変わっていないが、現在は第3蒸留棟まで完成し、そのスチルの数は43基にまで増えている。それでも伝統的な直火焚き蒸留を一部残し、フル生産で操業を続けている。ビジターセンターを開設したのも早く、年間10万人近い人々がスペイサイドの山奥の蒸留所にやってくる。現在はさらに第4蒸留棟の建設にも着手していて、それが完成すれば年間2500万リットルという、名実ともに世界一のモルトウイスキー蒸留所
が誕生することになるのだ。


<これが1963年にリリースされた初めてのシングルモルト。ストレートモルトという表現が使われている。>

スコッチシングルモルトの隆盛を築いた3つの蒸留所

 歴史に「もしも」という言葉は禁物だが、もしジョージ・スミスが密造をやめ、政府公認でいくという決断をしなかったら、スコッチの歴史は今日と
は少し違ったものになっていただろうし、もしウィリアム・グラント社がグレンフィディックをシングルモルトとして売らなかったら、シングルモルトの今の隆盛は無かったかもしれない。そしてマッカランが「シングルモルトのロールスロイス」と呼ばれていなかったら、シングルモルトには今日のような高級酒、ラグジュアリーなイメージはなかっただろうし、オークションで1本のウイスキーが4億円を超える値段で落札されることもなかったかもしれない。

 スペイサイドのトップ3は、世界の蒸留酒のトップスリーであり、“3蒸留所物語”はまさにスコッチの歴史そのものでもあるのだ。

トップ画像:ザ・グレンリベット蒸留所の第2蒸留棟。グレンリベットには第1、第2から第3蒸留棟までありその規模は巨大だ。