メオ=カミュゼやシャルロパン=パリゾ、フーリエやルイ・ジャドなど、故アンリ・ジャイエの醸造技術を引き継いだとされるドメーヌは数多く存在しますが、ワインの味わいがアンリ・ジャイエにもっとも近いのは、やはりエマニュエル・ルジェです。
ジャイエとルジェ
ブルゴーニュの伝説的な醸造家であるアンリ・ジャイエ(1922 – 2006)は、ふたりの兄が徴兵されたため、1939年に17歳で学校を中退し、家業を手伝うことになりました。
父のユージン・ジャイエはヴォーヌ・ロマネ村に小区画のブドウ畑を複数所有しており、人手が必要でした。1942年になって、アンリはドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)社で収穫人をしていたマルセル・ルジェと結婚しました。
転機が訪れたのは1945年で、アンリはノワロ=カミュゼ家が所有するブドウ畑の、折半耕作に関する10年契約を結びました。この契約には特級畑や一級畑が含まれ、収穫したブドウの半分を地代としてノワロ=カミュゼ家に収める一方、残った半分を自分で醸造しました。この契約は1988年まで続いたのですが、アンリは自力でもブドウ畑を取得し、エシェゾーやクロ・パラントゥを含む3ヘクタール(ha)の区画から、珠玉のワインを生み出すに至りました。
ワイン生産量の拡大に伴い、ドメーヌ・アンリ・ジャイエでは人手が足りなくなったため、1976年にアンリが声をかけたのは、妻のマルセルの兄弟であ
るアラン・ルジェの息子で、当時はトラクターの整備士をしていたエマニュエル・ルジェでした。1985年になると、エマニュエルはアンリの兄であるルシアン・ジャイエが所有するエシェゾーやヴォーヌ・ロマネ、ニュイ・サン・ジョルジュの畑の折半耕作を行うようになり、さらに2年後の1987年には、アンリのもうひとりの兄であるジョルジュが所有するエシェゾーやニュイ・サン・ジョルジュの区画も同様に分益小作するようになりました。同年に、ミシュランの星付きレストランのシェフであったジャン・クロテからの申し出を受けて、クロテが所有する畑の折半耕作も始めました。
1989年になると、エマニュエル・ルジェは引退の準備に入ったアンリ・ジャイエが所有する畑の折半耕作も行うようになり、これにはクロ・パラントゥやボーモン、ヴォーヌ・ロマネ村名やニュイ・サン・ジョルジュの区画が含まれました。現在ドメーヌ・エマニュエル・ルジェが耕作する7haの畑の、9割はもともとジャイエ家が所有していたもので、その多くはアンリ・ジャイエのふたりの娘が相続しています。
栽培と醸造
ドメーヌ・エマニュエル・ルジェでは有機栽培の手法を用い、必要最小限度の農薬のみを使用しています。畑に除草剤は散布せず、雑草は鋤で取り除い
ています。ブドウ樹は伝統的なギュイヨ・サンプルに仕立て、春先の芽かきによって房数を制限し、1haあたりのワイン生産量が42ヘクトリットル(hl)程度になるように調整します。7月には果房のまわりに繁茂した過剰な葉を取り除き、果房に日光を当てて果実の成熟を促すとともに、風通しを良くしてカビの発生を防ぎます。果実が適切に成熟した段階で、手摘みで収穫し、健全な房のみをドメーヌに運び込みます。
エマニュエル・ルジェのドメーヌは、ヴォーヌ・ロマネとヴージョの間の、フラジェ・エシェゾー村にあります。コート・ド・ニュイの著名なワインを生産する村の多くは国道74号線沿いに広がっているのですが、シャンボール・ミュジニー村が斜面の奥に隠れている一方、フラジェ・エシェゾーは斜面の下の、ブドウ畑から離れた平地に広がっています。フラジェ・エシェゾーでは、ドメーヌは他の村ほど密集しておらず、道路も広いため、収穫時でもあまり渋滞がみられず、作業性の良い環境です。ドメーヌに運び込まれたブドウは選果台で選別を行い、腐敗果や未成熟果、枝葉を取り除いた後、除梗を行います。「除梗」とは、発酵タンクに入れる前
に、果粒を果梗から外す醸造作業です。100%除梗されたピノ・ノワールから、ピュアな果実味をもつ、繊細な赤ワインがつくられるのに対し、全房発酵されたものは一般に、熟れた果実香に果梗由来の青みが混じった、複雑なワインになります。前者の代表的生産者は故アンリ・ジャイエで、後者の代表はドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティです。

<エマニュエル・ルジェ(左)と次男のギョーム>
アンリ・ジャイエの名声は、彼が1970年代末に導入した、新しい醸造方法によって築かれました。彼は、ブルゴーニュの伝統的な全房発酵に由来する青いニュアンスを嫌い、収穫したピノ・ノワールをすべて除梗しました。また、アルコール発酵の前に一週間程度の期間、約15℃の低温で浸漬して果皮の色素と果実の香味を抽出し、その後、気温に戻すことによってアルコール発酵を開始しました。熟成にはフレンチオークの新樽を用い、清澄作業やフィルター濾過を行わず、樽内でワインが自然に澄むのを待ってから、手で瓶詰めしていました。出来上がったワインは全房発酵の伝統的なブルゴーニュよりも深い色調で、新鮮なイチゴをフォークの先でつぶしたときに感じるような鮮烈な果実味をもつ、フィネスのあるワインでした。
ドメーヌ・エマニュエル・ルジェでは、新樽比率を除き、アンリ・ジャイエの手法をそのまま踏襲しています。ピノ・ノワールは100%除梗する一方、果粒は潰さないようにし、ドライアイスを用いてコールド・マセレーション(低温浸漬)を行っています。その後、10日間程度のアルコール発酵と果皮の醸しに入るのですが、発酵前期ではポンピング・オーバー(ルモンタージュ)でマストを循環させて空気を含ませ、酵母を増殖させる一方、発酵後期では果皮からの抽出に着目してパンチング・ダウン(ピジャージュ)を実施します。液温が28~32℃の間に収まるよう、頻繁にモニタリングを行います。

<クロ・パラントゥの畑 ©Domaine Rouget>
オリ下げ後にワインはオーク樽に移され、繊細なオリと共に熟成が行われます。樽熟成は15~20ヶ月間で、30~36ヶ月間自然乾燥させたアリエやトロンセの森のフレンチオーク材が用いられています。バレルセラーでは、著名なフランソワ・フレールやタランソーといった製樽会社の樽が目立ちました。グラン・クリュやプルミエ・クリュは新樽100%で熟成が行われる一方、村名ワインは50%程度、ブルゴーニュ・ルージュには1年空き樽が用いられています。ワインはフィルター濾過されることなく瓶詰めされます。
ワイン
エマニュエル・ルジェは1985年、フラジェ・エシェゾーに自分のドメーヌを設立し、独自のワイン生産を始めました。長男のニコラが2008年からドメーヌで栽培を担当する一方、ボーヌの醸造学校を卒業した次男のギョームは2011年に19歳で参画し、醸造を担当しています。現在の生産量の9割はピノ・ノワールからつくられる赤ワインですが、少量のシャルドネやガメイ、アリゴテも瓶詰めしています。
ドメーヌのワインで原産地呼称法上、最上位に位置するのはグラン・クリュのエシェゾー(1.06ha)で、東向きの粘土石灰岩土壌であるLes Cruot( レ・クロー)とLes Treux(レ・トルー)のクリマの、樹齢70年のピノ・ノワールから醸造されています。エシェゾーは、表記が微妙に異なる2種類のラベルで販売されており、通常品の“Domaine EmmanuelRouget” と表示されたものと、“E. ROUGET” の生産者名に“Domaine Georges Jayer”(ドメーヌ・ジョルジュ・ジャイエ)名が併記されているメタヤージュ(折半耕作)物の2種類があり(図5参照)、前者の方が高額で流通しています。ちなみに、アンリ・ジャイエの所有していた区画はLes Cruotにあり、ルシアンはLes Treux、ジョルジュが所有していた区画は両方にまたがっています。一般に、LesCruotの方がLes Treuxよりも粘土質が少なく、水捌けが良いとされています。

<バレルルーム>

<コンクリート製の発酵タンク>
原産地呼称法上はエシェゾーよりも格下であるものの、ドメーヌを代表するワインは、アンリ・ジャイエが蘇らせたクロ・パラントゥ(ヴォーヌ・ロマネプルミエ・クリュ、0.71 ha)で、ドメーヌ・エマニュエル・ルジェとしてのファースト・ヴィンテージは1989年です。北東方向に傾斜しているため畑は冷涼で、表土は薄く、石灰岩の多い土壌となっています。ワインは隣接するリシュブールよりもアルコール度が低く、酸度が高くなる傾向にあります。
上記ふたつ以外に特筆すべきワインとして、ヴォーヌ・ロマネプルミエ・クリュレ・ボーモン(0.2915 ha)があり、東向きで、小石混じりの粘土石灰岩土壌で栽培されている樹齢50年を超えるふたつの区画から、熟れた果実味をもつピュアな赤ワインが醸造されています。この他にはサヴィニー・レ・ボーヌプルミエ・クリュのレ・ラヴィエール(0.15 ha)や、5つの村名畑のブレンドから醸造されるヴォーヌ・ロマネ(1.5ha)、コルゴロワン村のレ・シャイヨの畑からつくられるコート・ド・ニュイ・ヴィラージュ、ニュイ・サン・ジョルジュ(村名)、サヴィニー・レ・ボーヌ(村名)、ブルゴーニュ・ルージュなどがあります。

<「ドメーヌ・エマニュエル・ルジェ」のエシェゾー(左)と「ドメーヌ・ジョルジュ・ジャイエ」のエシェゾー(右、メタヤージュ物)>※図5
樽からの試飲を終えてドメーヌを辞す直前、ギョーム・ルジェに「ボーヌのリセを卒業して実家のドメーヌに戻る前に、ジェレミー・セイスやドミニク・ラフォンのように、他の生産者で研修してみたいとは思わなかったのですか」と聞いてみました。彼はきっぱりと、次のように答えました。「自分はおじいちゃん(注)が最高のヴィニョロンだと信じていましたし、その考えは現在も変わりません。
なので、他の人からワインづくりを学ぼうとは思いませんでした」
アンリ・ジャイエの後継とされるドメーヌが片手に余る中、ルジェのワインがジャイエのものにもっとも似ている理由は、この一子相伝にあるのだと思い至りました。
(注) アンリ・ジャイエは正確にはギョーム・ルジェの祖父ではないが、ギョームは愛情をこめて ‘mon grand-père(’ 僕のおじいさん)と呼んでいる。
