コラム

ボウモアの名前を世界中に知らしめた幻のブラックボウモア

コルトンの丘

ウイスキーの世界には『伝説のボトル』、『幻のボトル』といわれるボトルがいくつか存在する。オークション市場を賑わせているボトルとしては、1926年蒸留のマッカランの60年物が有名で、以前このコーナーでも紹介したことがある。1986年の発売当時1本100万円で売られたこのボトルは、直近のオークションで2億4000万円の値をつけ、世界中を驚かせた。わずか30年足らずで、発売時の240倍の値を付けたことになる。しかし、発売時でも30本ほどしかなかったこのボトルは最初からオークションアイテムであり、飲んだことのある人はほとんどいなかった。運よく私は1990年代後半に一度だけ飲む機会があったが、世界でいったい何人の人がこの幻のマッカランを飲むことができただろう。おそらく数百人程度だろう。当たり前のことだが、このボトルを入手して開けようとするものは、誰もいないはずだ。だからこそ“幻のボトル”で、誰もがそのオークション的な価値は認めるが、このボトルのアロマ・フレーバー、美味しさについて言及する者はいない。
 それに対して、多くのウイスキーファンがその味を絶賛するのが、アイラ島のボウモア蒸留所が1993年から95年にかけてリリースした「ブラックボウモア」である。ボウモアは1779年に創業したスコッチ最古の蒸留所のひとつで、もちろんアイラでは最古。250年近い歴史の中で何度もオーナーが替わったが、1964年にここを買ったのが、グラスゴーのワイン商として名を馳せていたスタンリー・P・モリソン氏だった。18世紀から19世紀にかけ、産業革命の中心地として栄えたグラスゴーの繁栄を支えていたのがモリソン家で、その名門モリソン家の直系で、長年ワインビジネスを手がけていたのがスタンリー氏。そのスタンリー氏の長年の夢が自身の蒸留所を持つことだった。
 スタンリーはボウモアの生産設備・体制を見直し、特にワインビジネスで培った人脈を活かし、最良のシェリー樽をスペインからアイラ島にもたらした。その記念すべき1964年蒸留の原酒をシェリー樽に詰めたのがブラックボウモアで、当時、築200年近くたっていたNo.1ヴォルツ、第1熟成庫にそれは置かれた。これはスコッチ最古ともいわれる石造りの熟成庫で、海にせり出すようにして建てられている。その熟成庫の一番海寄りの場所にその樽を並べて置いたのだ。それから約30年。ブラックボウモアと名付けたのは、ファーストフィルのオロロソシェリーバット樽(500リットルの容量)に詰めたことで、まるで黒糖のような色をしていたからだ。

1995年の31年物

発売30年で2,000倍の値段がついたアイラの伝説のウイスキー

 実はこのブラックボウモアには1993年瓶詰めの29年物と、1994年瓶詰めの30年物、そして95年瓶詰めの31年物の3種類がある。どれも1964年蒸留で、アルコール度数は29年物と30年物が50%、31年物は少し下がって49%。どれもカスクストレングスで、ボトリング本数は29年が2000本、30年も2000本、そして1995年発売の31年物が1812本である。売りに出された時の価格はどれも1本100ポンド。当時1ポンドは200円くらいだったから約2万円くらいである。しかし、発売当初、このブラックボウモアに注目する人はほとんどいなかった。1993年当時は、今と違って誰もシングルモルトについて知らなかったし、スモーキーでパワフルなこのブラックボウモアの香味は異色だったのかもしれない。蒸留所のスタッフは社販で80ポンドで買えたというのに、社員でもほとんど買う人がいなかったという“伝説”が残されている。
 しかし、1990年代後半からミレニアムにかけてその美味しさ、稀少性が徐々に知られはじめ、気がついたら価格は1本1000ポンドを超え、世界中のウイスキーファンの間で争奪戦となってしまった。先のマッカランと違って飲んだ人たちの称賛の声が、ブラックボウモアを伝説のウイスキーに変え、「モルトファンなら一生に一度は飲みたい。これを飲まずしてしてシングルモルト、アイラを語るなかれ」と、言わしめるようになったのだ。
 そこからさらに30年。今では真に伝説のウイスキー、幻のウイスキーとして、世界中のモルトファンが知るボトルとなってしまったこのブラックボウモア。オークションではたまにしか出てこないが(マッカラン60年物と違って飲むために買われるため)、もし今、1993、94、95の3種のブラックボウモアがセットでオークションに出品されたら、20万ポンド、30万ドルを下回らないだろうといわれる。日本円にして4000~5000万円である。当初1本100ポンドで売られたボトルが、わずか30年で2000倍近くに跳ね上がったわけだが、マッカランに以上にオークションではレアアイテムかもしれない。何度もいうようだが、それは人々が飲んでしまって、現存するボトルがどんどん減ってしまっているからだ。
 私自身、ブラックボウモアは何度も飲んでいるし、1993年のリリース直後にボウモア蒸留所で1本買っている。当初は、普通に飲めて買えたボトルだったのだ。最後に飲んだのは2005年のことで、スコットランド山中のホテルのバーだったが、当時すでに1杯(30ml)、15万円ほどであった。はたして今はどうなっているのだろう…。

外観

写真: 
1)1995年の31年物

2)外観