コラム

知られざるタイの蒸留所と シンガポール初のライスウイスキー

コルトンの丘

前回は中国の蒸留所と樽工場、クーパレッジを紹介したが、今回はアジアのウイスキー熱を象徴するかのようなタイとシンガポールの蒸留所を紹介したいと思う。

まず、タイ北部のカンペーンペット県に2018年にオープンした、プラカーン蒸留所である。創業したのは華僑系財閥企業の1つであるタイビバレッジ社。同社はチャルーン・シリワナパクディ氏が一代で築いた会社で、1990年代にビール事業に参入し、それまで一社独占だったタイのビール業界に革命をもたらした。それがカールスバーグと提携したチャーンビールで、今ではシンハビールを抜いて、タイで一番人気のビールに成長している。

そのタイビバレッジ社が本格ウイスキー事業に参入したのは2006年のこと。スコッチのインバーハウス社を買収し、業界を驚かせた。インバーハウス社はプルトニー、バルブレア、ノックドゥー(アンノックで知られる)、スペイバーン、バルメナックの5つのモルト蒸留所とハンキーバニスター、カットーズ、ピンウィニーというブレンデッドスコッチを所有する中堅の会社で、スコッチの生産者としてはディアジオやペルノリカール、ウィリアム・グラント&サンズ、ビームサントリー、バカルディ社などに次ぐ、スコッチ8番目の企業となっている。

ハンキーバニスターやカットーズ、ピンウィニーはタイでも人気のブレンデッドで、現在はアジアを中心にマーケティングしているし、5つのモルトウイスキー蒸留所は、バルメナックを除いてすべてがシングルモルトとしてリリースされ、これも全世界的に人気を博している。日本でも古くからプルトニーやバルブレア、アンノックなどが知られていて、現在はそれにスペイバーンも加わって、これがタイ資本の会社であることを知らずに飲んでいるモルトファンも多いだろう。そのタイビバレッジ社が満を持して自国にオープンさせたのが、本格モルトウイスキー蒸留所である前述のプラカーン蒸留所だ。

プラカーンが所在するのはタイのバンコックから北に車で5時間ほど行ったカンペーンペット県で、ここはかつてタイ族の王朝として栄えたスコータイ王朝の拠点の1つ。カンペーンペットの街はいわゆる城塞都市で、旧市街は南北約2km、東西約500mほどの城壁に囲まれている。それほど高い城壁ではないが、周囲に水濠をめぐらし、城壁内には多くの建物や仏教寺院が点在する。その多くは廃墟となっているが、街を含む建造物、寺院群は1991年にユネスコの世界遺産に登録されているのだ。

城壁、建物に使われているのは地元のラテライト石で、これは熱帯地方に多く見られる鉄分を含んだ硬い石だ。赤みがかっているのは、鉄分が酸化しているからだという。カンペーンペットはタイ語で「ダイヤモンドのように硬い石」の意味がある。その城壁のところどころには、小さな要塞があり、この砦のことをタイ語で「プラカーン」という。街の郊外に建てられた蒸留所のネーミングは、この硬い石でできた砦から付けられたものだ。

<タイ北部の水田地帯。タイ米を生産。3 期作もできるという。>

 

王道をゆくタイの本格モルトウイスキー蒸留所


プラカーン蒸留所は、タイビバレッジ社のチャーンビールの工場の敷地の一角に新しく建てられている。といっても、その建物は大きく、蒸留所の敷地だけで180エーカー(約73万㎡)もある。チャーンビールの工場はその倍くらいの広さがあり、タイビバレッジ社の一大生産拠点となっている。

プラカーンは王道をいく本格的なモルトウイスキー蒸留所で、ほぼすべての設備、設計はスコットランドのフォーサイス社が手がけている。ワンバッチの仕込み量は麦芽8トンで、使用するのはすべて英国産麦芽。9割はノンピート麦芽だが、1割ほどはフェノール値45ppmのスコットランド産、ヘビリーピーテッド麦芽を使用する。マッシュタンで抽出する麦汁は約4万リットル。発酵槽はステンレス製で12基が稼働。ポットスチルはストレートヘッド型で、初留2基、再留2基の計4基。これで年間300万リットル(100%アルコール換算)のモルトウイスキーを生産するという。規模でいえば、スコッチの典型的なサイズで、まるでスコットランドの新しい蒸留所を見ているかのうようだった。

ウェアハウスもすでに2棟が完成していたが、驚いたことにすべてパラタイズ式を採用していて、1棟で3万から5万樽の収容が可能だという。パラタイズ式はパレット板に樽を縦置きするもので、崩れないように全体をバインディングするのが特徴だ。通常1パレットの上に4~6樽を載せるが、メリットはパレットごとフォークリフトで運ぶことができることと、省スペースで多くの樽を置けることだ。人手もスペースも節約できることから、スコッチのグレーンウイスキーや、アイリッシュなどで多用される。ただし、伝統的なダンネージ式やラック式に比べ、熟成が速く、液漏れも多いといわれる。

プラカーンは熱帯というタイの気候風土のもとで熟成させることになり、エンジェルズシェア(天使の分け前)も10%前後と高い。逆にそうしたテロワールを逆手に取って、タイでしか造れないウイスキーを目指しているのだ。ただし庫内の温度・湿度を考慮して、地面を3メートルほど掘り下げ、さらに周囲には人工の池を配して、庫内の温度・湿度にも気を配っている。すでに2024年には、3種のシングルモルトも販売され、これは日本でも正規輸入され市場に出回っている。まだまだ知名度は低いが、王道をゆくモルトウイスキーで、スコッチの伝統の技と、タイのテロワールが見事に融合された“世界水準”のシングルモルトとなっている。

知らずに飲んだら、スコッチのシングルモルトと誰もが思ってしまうだろう。またひとつ、アジアのウイスキーのポテンシャル、その勢いを見る思いだった。

<カンペーンペットの街の郊外を流れるピン川。河畔にはレストランも立ち並ぶ。>

<ステンレス発酵槽が全部で12基。>

<カンペーンペットの旧市街の城壁。硬いラテライト石でできている。これがプラカーンのシンボルに採用された。>

<スコットランドのフォーサイス社製のポットスチル。4 基が稼働。>

<周囲に人工の池を配した巨大なウェアハウス。>

<ウェアハウスの内部。パラダイズ式で5 ~ 6 段に積み上げる。地震は大丈夫だろうか…。>

 

赤道直下のシンガポールで造られるウイスキーとは


タイの次はシンガポールである。シンガポールに初めてのウイスキー蒸留所ができたと聞いて、急遽シンガポールに飛んだのは9月下旬のことだった。シンガポールに行くのは32年ぶり。シンガポールといえばラッフルズホテルが有名で、ここのロングバーのカクテル、シンガポールスリングは世界的に有名で、当時もそれ目当ての観光客がいたが、今はその比ではない。多くのファンが押しかけていて、いつも長い列ができているのには驚いた。

ウイスキーの世界ではシンガポールはスコッチウイスキー輸出国のトップ5の常連国で、それはシンガポールで飲まれているというより、シンガポールを経由してアジア諸国、特に中国などへ輸出される数字だという。そんなシンガポールにも自国産のウイスキーができたという。それが市街地の西にある工業団地の中にオープンした、レイチェル・ザ・ラビット蒸留所だ。

同蒸留所は中国出身のサイモンさん(出身は浙江省杭州市)が2024年に開設した蒸留所で、工業団地内に移り、本格的に始動したのは2025年のこと。シンガポールは面積約720㎢の土地に600万人の人が暮らす、いわゆる“都市国家”で、そのうちの7割近くが中国系の住人だという。国際金融都市でもあり、英語、中国語、マレー語、そしてインドの言葉も話されている。

面積720㎢というと、私たちウイスキー関係者から見たら、スコッチのアイラ島より一回り大きいくらい。アイラ島の面積は約630㎢で、人口はわずか3400人だ。いかにシンガポールが人口が密集しているか、分かるというもの。しかも、地図を見ると、マレー半島の先端にある島(国)で、その緯度は赤道直下ともいえる北緯1度。ウイスキーは今や「北の大地で造るもの」でなく、それこそ世界中、いたるところで造られているが、赤道直下というのは聞いたことがない。つまり、一年中気候はほぼ同じということだ。もちろん熱帯であり、果たしてそんな風土で造られるウイスキーとは、どんなウイスキーになるのか、世界中が注目している。

レイチェル・ザ・ラビット蒸留所が造っているのはジンやウォッカ、多くのスピリッツ類だが、ウイスキーはライスウイスキーと、そしてこれからはモルトウイスキーも造る予定という。そのための粉砕機や糖化タンク、濾過タンク、そして5基の発酵槽、2基のスチルまで備えている。モルトウイスキーはまだ試験蒸留の段階だったが、ライスウイスキーはすでに製品化され、シンガポールだけでなく海外へも輸出されている。さらに現在のシンガポールのランドマークともいえる「マリーナベイ・サンズ・ホテル」のバーでも、このライスウイスキーは人気だという。

また、このウイスキーは私たちが主催している「東京ウイスキー&スピリッツコンペティション(TWSC)」にも、昨年から出品されていて、賞も取っている。「ホムマリ(Hom Mali)」と名付けられたウイスキーで、蒸留所に行ってサイモンさんに聞くと、原料は100%タイ米で、その中でも最高級のジャスミン米のことをタイ語で「ホムマリ」というのだとか。ジャスミンライスは、いわゆる長粒種のインディカ米で、純白な輝きと、香りの良さで知られている。泡盛も原料はタイ米100%だが、それはジャスミンライスではない。サイモンさん曰く、「日本酒でいえば、山田錦のようなもの」だとか。

<シンガポールといえば、マーライオンと、マリーナベイ・サンズ・ホテル。>

<マリーナベイの近くにあるクラウドフォレスト植物園。巨大なドームの中に熱帯ジャングルが再現されている。>

<工業団地の中にあるレイチェル・ザ・ラビット蒸留所。ポットスチルが目印だ。>

<ウイスキーを造る2 基のポットスチルと創業者のサイモンさん。>

<海外のコンペで多くの賞に輝くライスウイスキー。これはその新商品。>

<ラッフルズホテルの中のロングバー。いつ行っても満席だ>

<ロングバーの名物のピーナッツ。床はピーナッツの殻だらけだ。>

<これがラッフルズのシンガポールスリング。かなり甘めのカクテルで、この1杯で5000 円近くする。シンガポールは物価が高い…。>

 

ロゴマークは月でウサギがウイスキーボトルを抱える!?


それはともかく、この最高級のジャスミンライスでモロミを造り、それを単式蒸留器で2回蒸留して造られるのがレイチェル・ザ・ラビット蒸留所のライスウイスキーで、先のTWSC2025ではその40%のものが銀賞、カスクストレングスのものが金賞を受賞している。日本の清酒メーカーでも最近はライスウイスキーを造るところがあるが、それらのライスウイスキーとは一線を画している。日本酒メーカーが造るライスウイスキーは、清酒用に米を磨いた後の米粉を使うところが多いからだ。もちろん、これはインディカ米ではなく、短粒種のジャポニカ米である。泡盛はタイ米を使うと書いたが、泡盛は米のデンプンの糖化に日本独自(沖縄独自)の麹菌、いわゆる黒麹菌を使って仕込まれる。しかも単式蒸留機の1回蒸留である。

レイチェル・ザ・ラビットという蒸留所名についても聞いたが、レイチェルはサイモンさんが酒のビジネスを始めた2014年に誕生した娘さんの名前だとか。ラビットは中国社会では縁起のよいものとされている。蒸留所のロゴマークは月でウサギがボトルを持っているイラストで、先頃の中秋の名月を思い出してしまった。シンガポールでもスーパーの店頭でも、中秋の名月を祝う月餅が売られていたからだ。日本のウサギは月で餅をついているが、これは17世紀頃に定着したものだという。中国でも月の中にウサギが描かれるが、それは餅ではなく不老長寿の薬などをつくる薬瓶などが描かれている。餅をついているのは、どうも日本だけのことらしい。

いずれにしろ、サイモンさんが造るシンガポール独自のライスウイスキーと、これから仕込む本格モルトウイスキーが楽しみだ。ちなみに仕込水はシンガポールの上水道。しかも、それはすべて隣国マレーシアからパイプで引いているのだとか。つまり原料の米はタイ産、水はマレーシア産ということになる。赤道直下の都市国家、シンガポールで造られるウイスキーから目が離せない。

トップ画像:現在リリースされているプラカーンのシングルモルト3種
      左がバーボン樽原酒がメインのボトルで、中央はオロロソシェリー樽がメイン。
      右がピーテッド麦芽で仕込んだスモーキーなプラカーン。日本でも販売開始となっている。