前回のこのコラムでは日本のクラフト蒸留所についてお伝えし、その時に次回は中国やタイ、韓国の最新蒸留所について紹介したいと述べていた。台湾はともかくとして、私が中国のウイスキー蒸留所について関心を持ったのは、昨年3月に台湾のカバラン蒸留所を訪れた時だった。カバランの総経理リーさんと会食をした際、カバランのこれからのライバルはどこですかと、軽い気持ちで訊いてみたことがある。
カバランは創業わずか20年足らずで世界70ヵ国以上に輸出し、私たちが主催する「東京ウイスキー&スピリッツコンペティション(TWSC)」のみならず、世界中の酒類・ウイスキーコンペで数多くの賞に輝いている。ポットスチル20基を擁し、年間生産能力900万リットル(100%アルコール換算)という巨大な蒸留所で、しかもそのすべてをシングルモルトで出荷するという、世界的に見ても稀有な蒸留所である。ことシングルモルトに限って言えば、その規模、売上げは日本のサントリーを抜いているかもしれない。
そのカバランが目標にしていたのが日本のサントリーだと以前聞いていたので、当然、サントリーがライバルですという答えを期待したが、驚いたことにリーさんの答えは、「それはチャイニーズウイスキーです」ということだった。思わず、「え、どうして中国ですか、まだ中国には1~2ヵ所の蒸留所しかないと聞いていますが…」と問い返すと、リーさんは「いや、現在中国には稼働中の蒸留所が20ヵ所以上、計画中も含めるとすでに40ヵ所を超えています」という、返答であった。
半信半疑だったが、帰国後すぐに中国のウイスキー蒸留所を調べると、リーさんの言うとおり計画段階のものも含めてすでに40ヵ所以上あることが分かった。しかも、それらはほとんどが、ここ1~2年の話なのだ。なんとか中国の蒸留所をこの眼で見てみたい。その願いが叶ったのが昨年9月の浙江省千島湖の蒸留所で、それから現在までに4度中国に行き、計7ヵ所の蒸留所と、熟成用の樽を作る山東省のクーパレッジを見て回ることができた。今回はまず躍進著しい、そして情報がほとんど出てこない中国の知られざる蒸留所を紹介したいと思う。
雲の上の蒸留所と1000室を超える温泉ホテル
最初に行ったのは前述の浙江省の千島湖蒸留所、千島金蒸留所、そしてスコッチのアンガスダンディ社が建設中の蒸留所だったが、日本のクラフトを見慣れている目からすると、どれも凄すぎる蒸留所ばかりで、そのスケール感、そしてなんといってもツーリズムと一体となっているそのコンセプトに驚いてしまった。その千島湖の蒸留所は後述するとして、まずは中国の蒸留所で、最も早くに創業した福建省の大芹蒸留所からお伝えしよう。
<福建省の大芹蒸留所。標高960mの山の中だ>
大芹蒸留所は中国南東部の福建省にある蒸留所で創業は2014年で、中国初のシングルモルトに特化した蒸留所である。創業したのは中国人ではなく台湾の宜蘭(イーラン)県出身の台湾人実業家、呉松柏さん。1980年代に中国に渡り、広東省でビジネスを展開し、それで大成功。もともと両親が福建省の大芹山の近くの出身ということで、その麓に雲頂温泉ホテルを建て、ホテル業、リゾート開発業に進出。たまたま大芹山の山頂付近の茶畑が売りに出ていたことを知り、この茶畑を買って蒸留所に改造。10㎞近くにおよび道路の建設から始め、7年近い歳月をかけ、ウイスキー事業をスタートさせた。
大芹には現在、大芹ルイス、大芹クラウドという2つの蒸留設備があり、ポットスチルは合計18基。ここもシングルモルトのみを造る蒸留所で、その生産能力は台湾のカバランに匹敵する、年間800万リットル規模。それだけでも驚くが、現在、隣の広東省恵州市に第2蒸留所を建設中で、これが完成すれば両方合わせて生産能力1500万リットルという、巨大な蒸留所となる予定だ。今年の4月に、そのどちらも取材で訪れたが、宿泊したのは呉さんが経営する雲頂温泉ホテルグループの豪華ホテル。どちらのホテルも、ホテルに一歩入った途端、すべての内装、デザインが、大芹ウイスキーのそれで整えられていて、いたるところに本物のスチルなどがディスプレイされている。玄関ホールは、まるで本物の蒸留所かと思うほどなのだ。しかも、温泉と謳っているだけあって、すべての客室に天然の温泉が引かれている。
中国で温泉…、それまであまり聞いたことがなかったが、1000メートル近い深井戸を掘れば、わりとどこでも温泉が湧いてくるのだという。これは日本の東京などでも一時期話題になったが、その中国版がこの手の温泉ホテルなのかもしれない。特に広東省の恵州市にある雲頂温泉ホテルは1000室の客室があり、すべての部屋に温泉が引かれているだけでなく、巨大な温泉施設が併設されていて、ありとあらゆる趣向を凝らした入浴施設がホテル館内に完備されていた。しかもその数は128にものぼり、これは世界一の温泉施設としてギネスブックにも認定されているのだとか。
とにかく、巨大な温泉リゾートホテルの全館の内装・ディスプレイが大芹ウイスキー一色に染まっていて、こんなホテルは世界中どこを探してもないだろうと、心の底から驚いてしまった。ウイスキーとツーリズム…と、よく言われるが、それを徹底的に、そして巨大な規模で実現しようとしているのが、今の中国の蒸留所なのだ。ちなみに、この恵州の第2蒸留所はホテルも含めて、その投資金額は350億円を超えるという。
<雲頂ホテルのロビーには本物のスチルが置かれている>
<大芹蒸留所のポットスチルと創業者の呉さん>
<広東省の雲頂温泉ホテルとギネスブックに載る温泉施設>
現代アートとコラボしたペルノリカールの蒸留所
福建省、広東省の大芹グループの投資額には及ばないものの、2017年に計画が発表され、2021年に公式オープンとなった四川省のチュアン蒸留所も、その投資額は230億円と、当時最大級と言われた蒸留所だ。ここは世界第2位のスピリッツメーカーで、スコッチウイスキーでもディアジオ社に次ぐ第2位の生産量、売上げを誇るフランスのペルノリカール社が、四川省の峨眉山に建設した蒸留所である。
<四川省のチュアン蒸留所>
<チュアンのポットスチル。スコットランドのフォーサイス社製>
四川の省都・成都から車で2時間ほどの距離にあるのが、世界遺産にも登録されている峨眉山(標高3099m)で、その山の麓に蒸留所は築かれた。四川省といえば四川料理で世界的に知られているが、唐の詩人、李白の出身地としても中国では有名だ。李白は酒豪で鳴らした人物で、李白と並ぶ唐の詩人、杜甫が「李白一途詩百篇」と謳うほどの酒豪だった。その李白の有名な詩(七言絶句)に「峨眉山月の歌」という、故郷・峨眉山を謳った一句がある。
チュアン蒸留所は生産規模はそれほど大きくないが(ワンバッチ麦芽4トン、スチル2基、年間生産能力150万リットル)、一歩蒸留所の敷地内に足を踏み入れると、そのコンセプトに圧倒される。敷地内にはいたるところに彫刻や現代アートが展示され、まるで高原美術館か、高級リゾートホテルみたいなのだ。それも自然景観を活かしたデザイン性の高いもので、とても蒸留所とは思えない。一番驚いたのが、敷地内の散歩道に人工の霧を発生させる装置を置いていることだった。
それをデザイン、設計したのは“霧の彫刻家”といわれる日本人アーティストの中谷芙二子氏。まさに自然の霧のように、見学客がその場所に歩を進めると、どこからともなく霧が湧いてきて、あたり一面が柔らかい霧に包まれ、ホワイトアウトする。故・坂本龍一氏のコンサートでもコラボしていたという中谷氏。こんな演出をする蒸留所というのも、もちろん世界初だろう。何もかもが洗練され、大芹とはまったく異なるが、これからのウイスキーツーリズム、なかでもアートとのコラボを示唆する蒸留所だった。峨眉山を訪れる観光客は年間数百万人にものぼるが、その観光客の目玉のひとつになっているのが、このペルノリカールのチュアン蒸留所なのだ。
<“霧の彫刻家”中谷氏がつくり出した霧のアート>
<チュアンのファーストリリースのボトル>
スチルメーカーやクーパレッジ、充実する中国のサプライヤー
昨年3月のカバランの取材以降、なんとか中国の蒸留所を取材したいと思っていた私のところに、突然届いたのが中国浙江省淳安県の、千島湖の畔で開かれた中国ウイスキーフォーラムへの招待だった。日本ウイスキーの専門家として、ぜひそのフォーラムでスピーチをしてほしいという依頼であった。そこには千島湖地区でオープンしている蒸留所と、これからオープンする蒸留所、計3ヵ所の見学も可能とあった。まさにそれは願ってもないことで、2つ返事で行くことを決め、昨年9月上旬、3泊4日の日程で浙江省に行ってきた。
<千島湖のフォーラムではスチルメーカーなどが出展していた>
上海から高速鉄道に乗って淳安県の千島湖駅まで2時間半。そこから車で30分くらいのところにあるのが、千島湖のリゾート地で、国際的な5スターホテルも軒を連ねている。そのリゾートホテルの1つで聞かれたのが、中国初のウイスキーフォーラムで、そこには世界中のウイスキー関係者、そして中国各地に誕生している蒸留所や、その蒸留所の製造機器を作るサプライヤー、熟成用の樽の製造販売を行うクーパレッジが20社近くも出展していた。私にとって驚きだったのが、名も知らない蒸留所が中国各地に続々と誕生しているということと、ウイスキー製造に必要な、いわゆる麦芽粉砕機やマッシュタン(糖化槽)、発酵槽、そして一番肝心なポットスチル、単式蒸留器を作るメーカーが、すでに中国国内にあるということだった。
<人造のダム湖が千島湖だ>
<千島蒸留所のポットスチル。これは中国製だ>
<千島湖蒸留所の製品。今はまだ他社の原酒を詰めたウイスキーだ>
考えてみれば日本はここ3~4年で100近い蒸留所が誕生しているが、肝心の銅製スチルを作る会社は、群馬県高崎市の三宅製作所1社しかない。さらに原料の麦芽を作る会社も、サントリー製麦くらいで、第三者的に他社に麦芽を供給できる会社は、ほぼゼロ。ウイスキーにとってスチル同様なくてはならないのが木樽だが、これも大手メーカーに属していない、第三者的な樽メーカーは、宮崎県の都農にある有明産業のクーパレッジ1社しかない。ほとんどすべては、麦芽から蒸留機器、樽に至るまで、海外のサプライヤーに頼っているというのが現状なのだ。
ジャパニーズウイスキーは、その輸出金額が年間500億円を突破し、酒類としては第1位の産品であるのに対し、その元となるものが、ほぼすべて外国産なのである。対して中国はどうだろう…。それをまざまざと見せつけられたのが、中国千島湖で開かれた、ウイスキーフォーラムと、そこに集結しているサプライヤーだった。クーパレッジだけでも、すでに中国には10社以上あるという。まさに驚き以外のなにものでもなかった。
さてフォーラムの間に3ヵ所の蒸留所を取材したが、すでに生産に入っていたのが千島湖蒸留所で、オープンしたのは2024年春と新しい。ワンバッチは麦芽1.5トンで、日本のクラフトより少し大きいくらいの規模だが、ここでも驚いたのが、それらの蒸留設備とは別に、敷地内に7階建てのホテルを建てていることだった。前述の広東省の大芹第2蒸留所の1000室には遠く及ばないが、100室の客室が用意され、千島湖というリゾート地にふさわしい、滞在型のウイスキー蒸留所にするという。つまり1日だけの蒸留所見学ではなく、2~3日、あるいは欧米のように1週間滞在して、体験型のウイスキー製造スクールなども開く予定なのだとか。ここでも、驚きのウイスキーツーリズムが花開こうとしている。ちなみに千島湖は1950年代に建設されたダムで水没し、1078の島ができたことから名付けられたもので、上海、杭州からも近く、近年は中国第1級のリゾート地になっているのだとか。
もう2つの蒸留所はまだオープンしていなかったが、1つは前述したようにスコッチのアンガスダンディ社が手掛ける本格的な蒸留所で、もう1つがやはり台湾人の親子が創業する蒸留所だった。もちろん、そのどちらも蒸留設備とは別に、ビジターセンターや宿泊設備も完備するという。
<沃林クーパレッジの製樽作業>
<樽の内側を内面処理するチャーリング>
<山東省煙台にあるシンガポール資本のワイナリー>
700種超の樹木を調査、中国産ミズナラ樽とは
昨年9月から始まった私の中国取材。今年2月に訪れたのが、山東省の煙台というところにある樽メーカー、いわゆるクーパレッジである。山東省は青島ビールがあることで昔から有名だが、もともと古くからワイナリーがあり、そのワイナリーに樽を供給するために、20年くらい前からクーパレッジがいくつかできたという。
今回訪れたのは、沃林(オーリン)クーパレッジという会社で、ここを知ったのも先の千島湖でのウイスキーフォーラムだった。実際ブースに展示されている樽を見て、その技術力、そして製造能力に驚いた。沃林クーパレッジを創業した方さんは、もともと山東省の地方政府で対外輸出関連の仕事をしていて、その時にオーストラリアのワインビジネスの人たちを知り、そこが山東省にワイナリーを開設すると聞いて一念発起、クーパレッジを始めたという。創業は2008年で、当初はワイナリーに納める樽の製造、その補修がメインだったというが、現在はウイスキー蒸留所に納入する樽のほうが多くなったという。
実はこの沃林の取材ではワイナリーも1ヵ所見学に訪れたが、そこはやはりシンガポール資本で、山の斜面を利用したブドウ畑では、ワイン醸造所とは別にレストラン、そして滞在型のホテル、リゾートマンションも経営し、敷地内にはゴルフ場や、子供用の遊園地、ミニ動物園、さらに釣り場も完備するという、一大リゾートワイナリーであった。本当は今から20年近く前にできたシャトーラフィットのロンダイワイナリーを見に行きたいと思っていたが、残念ながらその日は四川省の成都まで飛ばなければならず、それで沃林クーパレッジから近い、煙台のワイナリーだけを見ることになったのだ。
それはともかく、沃林クーパレッジは年間2万樽ほどの製造・補修が可能なかなり大きなクーパレッジで、中国では2番目くらいの製造規模だという。工場の取材の前に、そこから車で5分ほどのところにある沃林の本社も見せてもらったのだが、そこには分析ルーム、研究室、そして展示室のほかに、最上階には実験用のウェアハウスがあり、中国全土、700ヵ所の森林から樽に向く樹種を集め、それを小型の樽に成形し、同じ原酒(今はウイスキー)を詰めて、日々熟成実験をしている。そのうち、すでに7種ほどは樽にしてウイスキーを寝かせているという。
<そこが造るワインとブランデー>
もっとも有名なのが、“中国ミズナラ”として知られるコナラ属のオークで、学名はクエルクス・モンゴリカ。広い意味では日本のミズナラと同じ学名で、日本だけでなく、広くユーラシア大陸の沿海州、中国でいえば北朝鮮との国境沿いにある長白山山脈(北朝鮮では白頭山)に分布するミズナラである。実際、伐採の様子なども動画で見せてもらったが、日本のミズナラというより、アメリカのホワイトオークに近い気がした。それを冬の間に伐採し、大連に集約させ、そこで製材、天日乾燥後、黄海を船で運び、対岸の山東省に持ってきて、そこで樽に成形するのだという。
なんともスケールの大きな話だったが、年間2万樽規模というと、アメリカのケンタッキーやテネシーのクーパレッジには及ばないが、ヨーロッパのワイン樽、スペインのシェリー樽用の樽を専門に作るクーパレッジに、規模的には似ている気がした。もちろん、アメリカンホワイトオークだけでなく、ヨーロピアンオーク、さらに日本のミズナラ、中国産ミズナラ、変わったところでは中国雲南省のシャングリラオークというのもあったし、ロシアンオークの樽もあった。とにかく、その技術力もだが、研究熱心さ、それにお金をかけている姿を見ていると、中国はアジア最大の樽生産国であると断言できるのだ。何度も言うようだが、日本にはこれだけウイスキーの蒸留所も、そしてワインの醸造所もあるのに、メーカーに属さない第三者的なクーパレッジは1社しかないのである。それは中国の規模の10分の1くらいでしかない。いや実際の樽製造能力でいったら、100分の1、1000分の1もないかもしれないのだ。