コラム

ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエ Domaine Georges Roumier

コルトンの丘

 シャンボール・ミュジニーは古来、「女性的なワインを産する村」とされてきました。しかしながら消費者が困惑するのは、その代表的な生産者であるコント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエやジョルジュ・ルーミエのワインが、女性的な優美さからは程遠い、堅牢で壮大なワインであることです。

歴史

 ドメーヌは、ブルゴーニュ南部シャロレー出身のジョルジュ・ルーミエ(1898-1965)が、1924年にシャンボール村のジュヌヴィエーヴ・クアンクァンと結婚し、彼女が持参金としてボンヌ・マールやレ・ザムルーズ、レ・クラやレ・フュエの区画をもたらしたことに始まります。ジュヌヴィエーヴの父のアンリ=マリー・クアンクァンは、ドメーヌ・コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエの管理人をしており、アンリ=マリーの義理の父のポール・ジョロも、さらにはポールの義理の父のジャック・ノワロも、代々同じ職を継承していました。ジョルジュ・ルーミエも自分のドメーヌの傍ら、義理の父を継いでド・ヴォギュエの管理人を務め、ジョルジュの長男のアラン・ルーミエも1986年の引退まで、同職を継承しました。
 ジョルジュ・ルーミエはクアンクァン家のブドウ畑を引き継ぐ一方、特級畑ミュジニーの小区画を賃借耕作したり、村名畑を購入したりしてドメーヌを拡大し、1945年からドメーヌ元詰めを始めています。1952年にはボンヌ・マールに区画を追加購入し、クロ・ド・ヴージョのふたつの区画もポートフォリオに加えました。1953年にはモレ・サン・ドニ村にある一級畑のクロ・ド・ラ・ビュシエールも取得します。クロ・ド・ラ・ビュシエールはドメーヌ・デュジャックに隣接しているのですが、これはもともとデュジャックの前身であるドメーヌ・マルセル・グライエが所有していたモノポールで、ジャック・セイスがドメーヌ・マルセル・グライエを買収した1968年時点ではすでに、クロ・ド・ラ・ビュシエールは売却されていました。
 ジョルジュとジュヌヴィエーヴは5男2女に恵まれました。長男のアランは1955年からドメーヌ・コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエの管理人となり、次男のポールはクルティエ(ブローカー)になりました。三男のジャン=マリーは1954年にドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエに参画し、ジョルジュが引退した1961年にドメーヌを引き継ぎました。この年、ナポレオン法典以来の均等相続制によって分割されないようドメーヌを会社化し、兄弟が所有するブドウ畑をドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエに貸与することとしました。1986年にド・ヴォギュエの管理人を引退したアラン・ルーミエは、自分の持ち分をドメーヌから引き出し、息子のエルヴェ・ルーミエとローラン・ルーミエに託しました。
 ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエの現当主であるクリストフ・ルーミエは、祖父のジョルジュ・ルーミエからドメーヌを引き継いだジャン=マリーの長男です。クリストフは1958年生まれで、ディジョン大学で醸造学を学び、コート・デュ・ローヌの協同組合で研修した後、1981年に実家に戻りました。ジョルジュやジャン=マリーの時代にも良質のワインがつくられていましたが、ブルゴーニュを代表する生産者にまで上り詰めたのはクリストフの功績です。

ブドウ畑の拡大

 1968年、クリストフ・ルーミエの母オディールは、ペルナン・ヴェルジュレス側のコルトン・シャルルマーニュに土地を購入しました。西向き斜面の中腹に位置するのですが、整地して0.2 haにシャルドネを植え、1974年がファースト・ヴィンテージとなりました。日照時間の短い、涼しい西側斜面にあるためか、ワインはシャブリに似たクリーンな味わいで、ルーミエの荘厳な赤ワインのイメージとはかなり異なっています。
 1976年、ブルゴーニュ最大のワイン生産者グループを形成するジャン=クロード・ボワッセ社が、メゾン・トマ=バッソを買収しました。トマ=バッソ社は100年以上にわたって特級畑リュショット・シャンベルタンの最大の所有者であったのですが、この買収費用の一部を調達するため、ボワッセ社はリュショット・シャンベルタンの畑を売却することにしました。ドメーヌ・アルマン・ルソーは購入に意欲を示したのですが、単独ですべての区画を購入する資金的な余裕がなかったため、同社のシャルル・ルソーはジャン=マリー・ルーミエとジョルジュ・ミュニュレを誘い、3社で分割して購入することとしました。すなわち、ドメーヌ・アルマン・ルソーが中核となるクロ・デ・リュショットをモノポールとして取得し、ドメーヌ・ジョルジュ・ミュニュレ(現ジョルジュ・ミュニュレ・ジブール)が斜面下部のリュショット・デュ・バの区画、ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエがクロ・デ・リュショットの南に隣接する斜面上部のリュショット・デュ・デスュを分割購入することとなりました。しかしながら、ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエは買収資金を準備することができなかったため、ルーアンに住む富裕なワイン愛好家のミシェル・ボンフォンに代わりに購入してもらい、折半耕作によって畑の管理とワイン醸造を行うこととしました。この契約により、現在ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエで醸造されるリュショット・シャンベルタンの3分の2はクリストフ・ルーミエ名義のラベルで売られ、残りの3分の1がミシェル・ボンフォンのラベルで販売されています(<市場で流通する2 種類のルショット・シャンベルタン>写真参照)。中身は同一のワインですが、同じヴィンテージであってもルーミエの名前が入っていない分、ボンフォンの方が安く流通しています。
 ルーミエ家は1920年代から特級畑ミュジニーの小区画を賃借耕作してきたのですが、1978年になってようやく、この0.1ヘクタール(ha)を購入することができました。年によってばらつきはありますが、通常はひと樽半のワインが醸造されています。また、1984年にローザンヌのフランス人ワイン商であるジャン=ピエール・マチューがマゾワイエール・シャンベルタンの小区画0.27 haを購入したのに伴い、クリストフ・ルーミエが折半耕作を行うことになりました。クリストフの取り分は生産されたワインの半分で、シャルム・シャンベルタン・オー・マゾワイエールの銘柄で販売されています。ルショット・シャンベルタンの場合と同様に、クリストフ・ルーミエ名義のラベルとジャン=ピエール・マチュー名義の2種類があり、後者の方が格安で購入可能です。マゾワイエール・シャンベルタンの畑から醸造されたワインは、「マゾワイエール・シャンベルタン」および「シャルム・シャンベルタン」のいずれかの原産地呼称で販売することが可能なのですが、「シャルム」の方がよく知られているため、マゾワイエールに区画をもつ多くの生産者はシャルム・シャンベルタンとラベルに表示しています。
 2016年、クリストフ・ルーミエに3つ目の折半耕作の機会が訪れました。投資家グループが特級畑エシェゾーのアン・オルヴォーのクリマに購入した、0.13 haの区画を折半耕作することになりました。また、この投資家グループは2023年に、同エシェゾーのシャン・トラヴェルサンの区画0.26 haも追加購入したため、エシェゾーの総耕作面積は0.39 haとなりました。
 ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエではかつて、クロ・ド・ヴージョにふたつの区画を所有していたのですが、斜面上部の区画は1984年以降、クリストフの叔父にあたるアランと彼の長男であるエルヴェ・ルーミエの手に渡り、もうひとつの区画は1996年ヴィンテージの収穫の後で、アランの次男であるローラン・ルーミエのドメーヌに引き継がれました。このため1997年ヴィンテージ以降、ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエのクロ・ド・ヴージョは存在しません。

 ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエではかつて、クロ・ド・ヴージョにふたつの区画を所有していたのですが、斜面上部の区画は1984年以降、クリストフの叔父にあたるアランと彼の長男であるエルヴェ・ルーミエの手に渡り、もうひとつの区画は1996年ヴィンテージの収穫の後で、アランの次男であるローラン・ルーミエのドメーヌに引き継がれました。このため1997年ヴィンテージ以降、ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエのクロ・ド・ヴージョは存在しません。

 

<ドメーヌは、国道74 号線からシャンボール村に入る道の突き当りにある>

 

<経営管理担当のデルフィーヌ・クルト(クリストフ・ルーミエの実の妹)>

 

栽培と醸造

 ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエでは除草剤の散布をやめ、畝間を耕すことによって雑草を処理しています。耕起によって地表近くに水平に伸びるブドウ樹の根を切断し、根の広がりを土壌深くに誘引できる利点もあります。ブドウ畑は有機栽培に近い方法で管理されていますが、年によっては防カビ剤を使わざるを得ないことがあるようです。化学肥料は堆肥に置き換えられています。
 キャノピー・マネージメント(ブドウ樹の、地表から上の部分の管理方法)に関して、ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエでは通常よりもブドウ樹を高く、大きく仕立てています。これによってブドウ樹内部の風通しを良くし、湿気がこもらないようにすることで、病害の発生を防いでいます。植樹したばかりのブドウ樹は樹勢が強いためコルドンで仕立て、樹齢が上がって過剰な樹勢が収まってから、伝統的なギュイヨに変更します。冬季剪定は厳しく行い、さらに春先の芽かきや摘心によって
収穫する房数を制限します。これにより通常は夏期剪定が不要になるのですが、年によって二番果が生る場合や、果房同士が近すぎて腐敗のリスクがあるときには、切り落とします。1 haあたりの収量は村名ワインで40ヘクトリットル(hl)、一級畑で35 hl、特級畑で30 hl程度を目指しています。
 収穫時、選果は畑とワイナリーで二度行います。除梗を行うかどうかは年によって判断しており、よく熟れたヴィンテージではワインにフレッシュ感を与えるよう、全房発酵の比率を高くします。通常、ACブルゴーニュと村名ワインでは100%除梗してピュアな果実味を追求する一方、プルミエ・クリュでは70%、グラン・クリュでは50%程度とし、特級畑ミュジニーに関しては発酵段階での容量をかさ増しする目的で100%全房発酵を行います。発酵タンクにはかつて、上面開放型の木桶やコンクリートタンクが使われてきましたが、現在はステンレスタンクが中心になっています。
<em> </em>ドメーヌでは培養酵母を用いないため、アルコール発酵はゆっくりと始まり、その間、タンク内は低温マセレーション(浸漬)の状態になります。これによって安定した色素と果実のフレヴァーを抽出し、ワインは果実の香味が豊かなものとなります。液温が上昇するとともにアルコール発酵が始まりますが、デリケートな香味を損なわないよう、発酵温度は30℃を超えないように調整しています。その分、マセレーションの期間を18 ~ 25日と長めに取り、果皮からの強めの抽出を行っています。アルコール発酵初期の段階では、発生する二酸化炭素により表層に浮かび上がってくる果皮をパンチング・ダウン(ピジャージュ)によって液内に沈めるのですが、炭酸ガスの湧き上がりが落ち着いてきたらポンピング・オーバー(ルモンタージュ)に変更してマストに酸素を供給し、酵母の増殖を助けます。温暖化が進んだ近年では、シャプタリザシオン(補糖)の必要性はほぼなくなったといいます。

 

<ステンレスの発酵タンク>

 

<下のバレルルーム>

 

<畑の位置を説明する、醸造担当のアレクシス・オーバン(クリストフ・ルーミエの甥)>

 

 ドメーヌでは畑の個性を際立たせる目的で、熟成に用いるオーク樽の新樽比率を控えめにしており、村名ワインで20%、プルミエ・クリュで25 ~ 35%、グラン・クリュでは35 ~ 45%程度です。

 ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエのワイン醸造は、ドメーヌ・コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエの前醸造長であったフランソワ・ミエの影響を強く受けていると感じます。そのひとつは、アルコール発酵終了後にワインを樽に移してから、バレル・セラーを可能な限り低温に保ち、マロラクティック発酵(MLF)が収穫の翌春まで起こらないようにすることです。MLFの開始を遅らせることで、樽内のオリ引きを翌年の9月まで行わずに済み、長期間にわたって細かいオリと一緒に熟成させることで、ワインの味わいにふくらみをもたせることができます。1993年ヴィンテージ以降は卵白による清澄作業やフィルター濾過も行わず、樽熟成によって自然に澄むまで待ち、通常は収穫翌々年の2月から5月にかけて瓶詰めします。

ワイン

 現在ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエでは、ジュヴレ・シャンベルタンやモレ・サン・ドニ、ヴォーヌ・ロマネやペルナン・ヴェルジュレスを含む、5つの村で約12 haのブドウ畑を耕作していますが、やはりその最良のワインは、ドメーヌのあるシャンボール・ミュジニー村から生まれています。
 オークションで人気を攫うのは、何といっても特級畑ミュジニーです。ルーミエは、グラン・ミュジニーのクリマの北端に近い斜面上部に、0.1 ha弱を所有しています。ルイ・ジャドとフェヴレイの区画に挟まれた、申し分のないロケーションなのですが、私自身はこれまで、真に感動的なジョルジュ・ルーミエのミュジニーに出会ったことがありません。ワイン学校等で、定期的に主要な7 ~ 8生産者のミュジニーのブラインドによる水平テイスティングを行っているのですが、実はルーミエのワインが上位に選ばれたことは一度もありませんでした。ドメーヌ・ルフレーヴのモンラッシェでも同様のことが起こっているのですが、1樽や2樽しかつくられない銘柄は醸造上の選択肢が限られ、また、格下げのオプションも経営的に難しいことから、高品質のワインを一貫して毎年つくり続けることが難しいのだと感じています。

 

<シャンボール・ミュジニー村名からボンヌ・マールまで、2023年ヴィンテージの試飲>

 

 個人的に「ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエを代表するワイン」と考えているのは、ボンヌ・マールです。15 haのACボンヌ・マールのうち、ルーミエは1.89 haを所有しています。海抜高度265 ~ 300メートルに位置するこの特級畑は長方形をしており、対角線に走る畦道によって二分されています。この斜面上部の区画の表土が白っぽいことからテッレ・ブランシュ(terres blanches)、下部が赤っぽいことからテッレ・ルージュ(terres rouges)と呼ばれており、テッレ・ルージュのワインは色が濃く、角ばって男性的である一方、テッレ・ブランシュの方は洗練されている、とされています。ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエはボンヌ・マールに4つの区画を所有しているのですが、そのうち3つは牡蠣の貝殻の化石に覆われたテッレ・ブランシュで、最小の区画が比較的粘土質の多いテッレ・ルージュにあります。ドメーヌでは区画ごとに分けて醸造が行われ、瓶詰め前にブレンドします。樽熟成中のボンヌ・マールを区画ごとに試飲すると、テッレ・ルージュが凝縮して堅い味わいである一方、テッレ・ブランシュはフィネスを感じさせる、女性的な味わいです。
<em> </em>レ・ザムルーズは、シャンボール・ミュジニー村の一級畑群の筆頭です。「グラン・クリュに格上げされるべき」とされる5.4 haの畑のうち、ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエは0.4 haを所有しています。レ・ザムルーズの斜面下には湧き水があり、地下水脈が高いところにあるのが理解できます。このため、斜面下部の区画を所有するロベール・グロフィエのワインが繊細なスタイルになりがちなのに対し、所有する区画がレ・グラン・ミュジニーに隣接する、石灰質の多いルーミエのものは堅牢な味わいで、女性的なイメージからは離れています。
 シャンボール・ミュジニー村の小さなレストランLe Chambolleの窓の外に広がっているのが、3.45 haの一級畑レ・クラです。ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエはここに1.76 haの区画を所有しています。1855年に出版された、ディジョン大学のジュール・ラヴァル教授による『コート・ドールのブドウ畑および偉大なワインの歴史と統計』1 では、レ・クラはボンヌ・マールやレ・ザムルーズと同じカテゴリーである「プルミエール・キュヴェ」に格付けされています。重い石灰粘土質土壌のレ・クラは、近年の地球温暖化の影響で品質が向上したとされ、かつてはやや植物的な風味が散見される堅い味わいだったものの、近年ではふくよかな味わいに変わってきました。ルーミエのレ・クラは1993年がファースト・ヴィンテージで、それ以前は村名のシャンボール・ミュジニーにブレンドされていました。

 


<市場で流通する2 種類のルショット・シャンベルタン>

 

 同様にして、シャンボール・ミュジニー プルミエ・クリュ レ・コンボットは、2005年ヴィンテージから単独で瓶詰めされるようになった銘柄で、2004年ヴィンテージまでは村名シャンボール・ミュジニーにブレンドされていました。真新しく、入手困難なため、現在はレ・クラよりも高額で流通していますが、数年後には価格が落ち着くと思います。

 ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエの当主であるクリストフ・ルーミエは今年で68歳になり、引退の準備に入っています。現在はクリストフの甥のアレクシス・オーバンが醸造担当となっていますが、天才と謳われたクリストフからどのようにしてドメーヌを引き継いでいくのでしょうか。ドメーヌ・コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエでは2022年から醸造長がジャン・ルパテッリに代わり、フランソワ・ミエの頃にあったピノ・ノワールの堅牢さが和らいでいるように感じます。シャンボール・ミュジニーのワインは再び、女性的なワインに回帰していくのかもしれません。

トップ画像: ジョルジュ・ルーミエの自社畑