コラム

ドメーヌ・デュジャック Domaine Dujac

コルトンの丘

ブルゴーニュの伝統的な醸造方法である、ピノ・ノワールを除梗せずにマセレーション(果皮の浸漬)を行う生産者は、現在では少数派になってしまいました。
著名なところではドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)やドメーヌ・ルロワ、ドメーヌ・デュジャックなどがありますが、DRCやルロワの赤ワインが長いボトル熟成後も比較的深い色調を湛えているのに対し、デュジャックのものは色が淡くなりがちで、日本料理の出汁や松茸の香りに通じるような、得も言われぬ独特の風味を帯びるのが特徴です。

 

歴史

国道74号線からモレ・サン・ドニ村の中心に向かってすぐ左手にあるドメーヌ・デュジャックは、同村でもっとも著名なワイン生産者のひとつですが、その歴史はさほど長くありません。
この村を代表するもうひとつのドメーヌであるポンソの設立が1772年である一方、デュジャックの設立はほぼ200年後の1968年で、ワイン生産を志すジャック・セイスのために、ビスケット会社を経営していた父親のルイ・セイスがドメーヌ・マルセル・グライエを購入したのが始まりです。Domaine Dujacの名前は、Domainedu Jacques(ジャックのドメーヌ)を約めたものです。
ジャック・セイスはドメーヌ設立前の1966年と67年に、ヴォルネイ村のドメーヌ・ド・ラ・プス・ドールで2年間ワイン生産を学びました。モレ・サン・ドニ村のドメーヌ・マルセル・グライエ(現ドメーヌ・デュジャック)は、もともと修道院として使われていた建物を使い、クロ・ド・ラ・ブシエールの畑に隣接していました。この畑の現在の所有者はドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエですが、それ以前はドメーヌ・マルセル・グライエのものでした。セイス家が買収した時点でグライエが所有していたのは、グラン・クリュのクロ・ド・ラ・ロッシュやクロ・サン・ドニ、
ジュヴレ・シャンベルタン プルミエ・クリュのオー・コンボットを含む4.5ヘクタール(ha)でした。
マルセル・グライエはいわゆる不在地主で、醸造されたワインはすべて樽の状態でネゴシアンに売却していました。ジャック・セイスが初めてこのドメーヌでワインを仕込んだのは、オスピス・ド・ボーヌの競売会がキャンセルされるほど悲惨な凶作年となった1968年ヴィンテージで、ワインはすべて樽で売却されました。ドメーヌ・デュジャック名で初めて瓶詰めが行われたのは、1960年代を代表する秀逸年となった翌1969年ヴィンテージで、ワインは父ルイの口利きで、パリの三ツ星レストランのヴィヴァロワ等に売られ、高い評価を得ました。
1973年になって、ジャックはカリフォルニア出身のロザリンド・ボズウエルと結婚します。彼女は1971年にパリの画廊で働いていた際、ボランティアとしてドメーヌ・デュジャックの収穫に参加し、ジャックと知り合いました。1975年には長男のジェレミーが生まれ、続いて1977年に次男のアレックが誕生します。
現在のドメーヌ・デュジャックはジェレミーとアレック、そしてジェレミーの妻のダイアナの3名が中心となって運営しています。ジェレミーは1998年、ダイアナは2001年、アレックは2003年からドメーヌに参画しました。
三男のポールはドメーヌの運営には直接かかわらず、ディジョンやリヨンでMy Wok(“Wok”は中華鍋の意)というカジュアル中華レストランを7店舗経営しています。

イギリスのオックスフォード大学で学んだジェレミーと、ロンドン大学で経済学を修めたアレックは、大学で醸造学を履修していないのですが、ロザリンド同様にカリフォルニア出身のダイアナは、ナパ・ヴァレーにあるスノーデン・ワイナリーの娘で、カリフォルニア大学デイヴィス校で醸造を学びました。そのため、セラーでの日常業務はダイアナが管理しています。
ジェレミーとダイアナは、彼がナパ・ヴァレーのロバート・モンダヴィ・ワイナリーで研修しているときに知り合いました。ジェレミーとダイアナの間には、第三世代となる二人の男の子、オベールとブレーズが生まれています。

<ドメーヌ・デュジャックの自社畑>

 

ブドウ畑

別掲の地図が示す通り、現在ドメーヌ・デュジャックでは17.5haの畑を耕作しています。1968年に購入した時点でドメーヌ・マルセル・グライエが所有していた畑は4.5haだったのですが、その最大の区画はジュヴレ・シャンベルタン村の一級畑オー・コンボットの1.16 haでした。オー・コンボットの畑は、ラトリシエール・シャンベルタンとマゾワイエール・シャンベルタン、クロ・ド・ラ・ロッシュという3つのグラン・クリュに四方を囲まれているのに、どういうわけかグラン・クリュに認定されませんでした。これは、1936年にINAO(原産地呼称委員会)によってコート・ドールの格付けが行われた当時、オー・コンボットの畑のほとんどが、複数のモレ・サン・ドニ村のドメーヌによって所有されていたことが一因ではないか、とされています。ドメーヌ・マルセル・グライエはオー・コンボットをグラン・クリュに昇格するよう、INAOに請願書を提出したのですが、却下されていました。ジャック・セイスはドメーヌ・マルセル・グライエ購入以降も、エシェゾーやボンヌ・マールなど、優良な区画が売りに出されるたびに精力的に買い足してきました。大きな飛躍があったのは2005年で、デュジャックはドメーヌ・ド・モンティーユのエティエンヌ・ド・モンティーユと共同でドメーヌ・トマ=モワラールを買収し、同ドメーヌの主に北部の畑を取得することができました。これらにはロマネ・サン・ヴィヴァンやシャンベルタン、ヴォーヌ・ロマネ村の一級畑であるレ・ボーモンやレ・マルコンソールが含まれます。このとき買収したトマ=モワラールの畑の一部は外部の投資家が所有し、ドメーヌ・デュジャックにリースする形を取っていますが、実際に耕作しているのはデュジャックのスタッフです。また、トマ=モワラールが所有していた一部の畑はすぐに売却し、買収資金に充当しました。2014年には、外部の投資家が購入したピュリニー・モンラッシェ村の一級畑、レ・フォラティエールとレ・コンベットの区画の賃借が始まり、ドメーヌ・デュジャックのコート・ド・ボーヌでのワイン生産が始まりました。1968年のドメーヌ・マルセル・グライエ買収当初は畑が荒廃していたこともあり、ジャック・セイスはINRA(フランス農学研究所)で選抜された、ピノ・ノワールのさまざまなクローンをブドウ樹の植え替えに用いていました。しかしながら、出来上がったワインの香味の画一化を感じるようになり、近年では自社畑の高樹齢のブドウ樹からのマス・セレクションの比率を高くしています。
過去30年間に植え替えが行われた区画では、ブドウ樹の仕立てを最も一般的なギュイヨ・サンプルから、樹勢をコントロールして収量制限を行いやすいコルドン・ド・ロワイヤに変更してきたのですが、近年では樹液の流れに着目したギュイヨ・プーサールも導入しています。

<シャルドネが植えられているデュジャックのモン・ルイザンの区画から、モレの村を見下ろす>


<アリゴテが植えられているドメーヌ・ポンソのモン・ルイザンの区画(デュジャックの区画に隣接)>


<ドメーヌ・デュジャックのセラー前のアレック・セイス>

 

ドメーヌでは1986年以降、除草剤や殺虫剤の使用をやめています。雑草を取り除くために、定期的にブドウ樹の畝間を鋤いているのですが、土壌の流出につながらないよう、表土の浅い部分に留めています。また、硫黄や硫酸銅以外の防カビ剤は、徐々に散布をやめました。化学肥料は用いず、必要に応じて堆肥を土壌に鋤き込み、土中の微生物を活性化しています。ドメーヌでは2001年から4haの畑で有機農法を実験的に開始し、2008年からすべての畑に広げ、2011年に有機栽培認証を得ています。
バイオダイナミクスの手法は2003年から導入し、現在ではすべての畑で実践されています。ドメーヌ・デュジャックは畑での収量制限が非常に重要であると考えており、ピノ・ノワールのブドウ樹1本あたり6房の熟した果実を収穫できるよう、厳しい剪定と摘芽、摘葉、そして必要があればグリーン・ハーベスト(過剰な果房の間引き)を行っています。これはちょうど1haあたり35ヘクトリットル、つまり1haあたりワイン4,650本の収量になります。収穫に際しては、収穫スタッフの人数を増やして作業をゆっくりと進め、未成熟果や腐敗果を除き、適切に熟したブドウだけを収穫させることが重要だとしています。

<2022年ヴィンテージから用いられている、ピノ・ノワールのアルコール発酵を行うステンレスタンク群>

 

ワイン醸造

ドメーヌ・デュジャックの醸造上の特徴で第一に挙げられるのは、ブドウを除梗せずに全房の状態でタンクに入れ、アルコール発酵を行うことです。
ジャック・セイスが研修した当時、ドメーヌ・ド・ラ・プス・ドールでは低樹齢のピノ・ノワールを除き、全房発酵が行われていたことと、のちに一緒に南仏でトリエンヌを設立することになる、友人のオベール・ド・ヴィレーヌが経営するDRCの醸造を模倣しました。100%除梗されたピノ・ノワールから、ピュアな果実味をもつ、繊細なワインがつくられるのに対し、全房発酵されたものは一般に、熟れた果実香に果梗由来の青みが混じった、複雑なワインになります。前者の代表的生産者は故アンリ・ジャイエで、後者の代表はDRCです。全く除梗を行わないという醸造方法は非常にリスキーで、ともすれば青臭いニュアンスの残るワインとなってしまうため、近年では収穫したピノ・ノワールのほとんどを除梗するのが普通となりました。ブルゴーニュで前世代型の破砕・除梗機が普及したのは1970年代後半のことで、それ以前の除梗は手作業で行われていました。具体的には、ブドウの果粒は通るけれども房は通らない、目の粗いザルのように編んだ柳の枝の格子を発酵タンクの上に設置し、その上で収穫したブドウをスタッフが手で前後左右に転がすことにより、果梗から外れた果粒だけがタンクに落ちる仕組みで、非常に労働集約的で高コストであり、資金的に余裕のある生産者のみが実行可能でした。また、現代的な除梗機発明前に普及していた破砕・除梗機の欠点は、果粒を潰してしまうことで、無傷の果粒内で発生する、酵素による細胞内発酵が起こらなくなってしまい、細胞内発酵に由来する揮発性エステル、特に新鮮なイチゴをつぶしたときに感じるケイ皮酸エチルが生成されなくなることです。ジャック・セイスは「果梗をタンクに入れるかどうかよりも、果粒を傷つけるのが嫌で除梗しなかった」といっています。
ジャック・セイスは数次にわたり、モレ・サン・ドニの村名ワインを使って除梗に関する実験を行っていました。彼は同一の区画のピノ・ノワールを醸造するに際し、100%全房、100%除梗、全房と除梗各50%の3種類の方法でアルコール発酵を行い、出来上がったワインを試飲・分析しました。結果は、100%全房発酵が行われたワインはアルコール度や酸がやや低く、色調が薄めになったといいます。色素濃度が低下する原因としては、果梗が多孔質で、アントシアニン色素を吸着するためであると考えら
れています。また、果梗に含まれるカリウムが溶出することにより、ワインのpHが上がることが知られています。一方で、果梗が物理的にマストの対流を促すことにより、アルコール発酵中の液温が危険なレベルまで急激に上昇することがない、とされています。ジャック・セイスの時代、収穫したピノ・ノワールは全く除梗を行わない100%ホール・クラスター(全房)で発酵し、100%新樽で熟成が行われていました。1998年にジェレミーがドメーヌに参画して以降、ジャックは長男の意見を聞き入れ、全房発酵や新樽熟成への頑なな態度を改めるようになりました。すなわち、2000年ヴィンテージ以降は100%全房発酵へのこだわりをやめ、収穫年によっては20%程度までを除梗するようになりました。この変更について次男のアレックは、「ドメーヌ・デュジャックでは培養酵母を用いず、土着の酵母によって自然に発酵が始まるのを待つが、地球温暖化により醸造環境が変わり、アルコール発酵開始までに時間がかかる100%全房では酢酸やアルデヒドが発生するリスクが高まってきた。

<オート・ピジャージュ(油圧式パンチング・ダウン)>

 

少量の果実を除梗してタンクの底に敷くことにより、培養酵母を接種しなくてもスターターとしてアルコール発酵がスムーズに始まるようになり、人為的なトリートメントを加えることなく自然なワイン醸造を継続できる」としています。一方で、ピノ・ノワールの成熟度が低い冷涼なヴィンテージや村名畑のブドウには、20%近い比率で除梗が行われています。また、ジェレミーが主体となって2000年にネゴシアン部門のデュジャック・フィス・エ・ペールを興したのですが、購入ブドウから醸造するワインは柔らかく、若くても飲みやすいスタイルを目指して、ほぼ全量を除梗しています。アルコール発酵は2週間程度続き、初期段階では軽いパンチング・ダウンを行いますが、その後はポンピング・オーバーに代えて、果皮の色素や香味をやさしく抽出します。発酵温度は32℃を超えることはめったにありませんが、場合によっては冷却します。アルコール発酵後、短時間のオリ下げを行ってから、ポンプを使わずに重力でオーク樽に詰め、14 ~ 18 ヶ月間熟成します。発酵タンクの底に残った、果皮や果梗に含まれるワインは空気圧式プレスでやさしく絞り、同様に樽熟成してから、必要に応じてブレンドします。ジャックの時代には、すべての赤ワインを100%新樽で熟成させていましたが、現在の新樽比率は村名ワインで40%、プルミエ・クリュで60 ~ 80%、グラン・クリュの場合でほぼ100%と、ヴィンテージや収穫したブドウのポテンシャルで使い分けています。「傾向としては、ブドウがよく熟れたヴィンテージではリンゴ酸の減少によりマロラクティック発酵(MLF)の総量が減少するため、新樽の風味が過度にならないよう、より少ない比率の新樽を用いている」としています。オーク樽用の木材は、アリエ産の原木を自社で購入し、製材後に製樽業者のもとで30 ヶ月間自然乾燥させています。新樽を用いるのは新材の風味を付与するためではなく、若いワインにゆっくりと微量の酸素を供給したいからです。新樽からタンニンが溶出し、アントシアニン色素と結合して色調の安定化に役立つと考えられています。ワインにトースティなニュアンスを付与するため、製樽会社では注文に従って樽の内側を焦がしたり、炭化させたりするのですが、強く焦がすとタンニンが燃焼してしまうので、ドメーヌ・デュジャックではブルゴーニュで一般的なやや強めの焦がしではなく、ライト・トーストを採用しています。醸造所を新設してから、セラー内の温度は24時間空調で管理しており、涼しくなったおかげでMLFは樽の中でゆっくりと始まるようになりました。MLF後、オリ引きをして粗いオリと余分な炭酸ガスを取り除いた後、きめの細かいオリの上で1年間シュール・リーの状態で樽熟成し、収穫翌々年の2月から3月にかけて瓶詰めを行います。

<バレル・ルーム>

ドメーヌ・デュジャックを代表するワインはクロ・ド・ラ・ロッシュとクロ・サン・ドニで、前者が凝縮して濃厚なワインであるのに対し、後者はピュアな果実味が前面に出た、繊細なスタイルです。個人的にはチャーミングなクロ・サン・ドニが好みで、良作年には数本ずつ購入するようにしています。また、ドメーヌ・トマ=モワラールから購入したレ・マルコンソールはヴォーヌ・ロマネらしい華麗な味わいで、2005年ヴィンテージ以降傑出したワインを生み出しています。デュジャックは赤ワインの生産者として知られるドメーヌですが、実は1985年からDruid Wines(ドルイド・ワインズ、「ドルイド」は古代ケルト社会における祭司のこと)という生産者名で、購入ブドウから村名ムルソーを醸造してきていました。2014年以降はピュリニー・モンラッシェ村のレ・フォラティエールとレ・コンベットも醸造しているのですが、個人的にもっとも興味をそそられるのはモレ・サン・ドニ村のプルミエ・クリュであるモン・リュイザンです。ドメーヌ・ポンソのモン・ルイザンの区画にはアリゴテが植えられ、酸の際立った、濃厚で個性的なワインとなっているのに対し、隣接するデュジャックの区画にはシャルドネが植えられ、現代的ですっきりとした味わいになっています。かつてドメーヌ・デュジャックの白ワインには新樽が多用され、バトナージュが頻繁に行われていましたが、現在は新樽比率を20%程度に抑え、バトナージュも控えめにすることで、ワインはフレッシュ感のある穏やかなスタイルに変更されました。
ドメーヌ訪問時に恐る恐る私は、「同じホール・クラスター発酵を行うDRCやルロワに比べて、ドメーヌ・デュジャックの赤ワインの色調がボトル熟成後に薄くなるのはどうしてなのだろうか」と質問してみました。当初アレックは、デュジャックのワインの色調だけが突出して薄くなること自体を否定していたのですが、私が「少なくとも1990年代のワインは色調がずいぶんと淡くなっている」と指摘すると、「当時はそうだった」と認めました。彼は続けて、「さまざまな改良を行ってきたので、近年醸造されたワインではそういうことは起きない」と断言しました。私自身は、デュジャックの赤ワインが長いボトル熟成の後で淡い色調に変化することを否定的にとらえていないのですが、近年のヴィンテージを熟成後に楽しむのを心待ちにしています。

<白ワインの醸造に用いられている卵型コンクリート・タンク>

トップ画像:ドメーヌ・ルフレーヴの自社畑